ベイエリア日記

ベイエリアでプロダクトマネージャーやってる中年おっさんのブログ

京都アニメーション

狂気の沙汰としか思えない放火事件によって、京都アニメーションのスタジオが全焼し、30名以上の方が無くなるというとても心が痛む惨事が起きた。


僕は高校に入るまではアニメが大好きで、イラストレーターや声優になりたいと思っていた。貞本義之や田中久仁彦結城信輝なんかは僕にとってはヒーローだった。板野サーカスのように手書きであそこまでの躍動感を表現するクリエイターに心躍らせた。コピックという1本500円くらいするイラストレーターが愛用するペンが欲しくて仕方なくて、何度も画材屋の前を通った。どうやったら上手く右向きの顔が描けるかとかそういうことばかり考えたし、きっと高校を出たら代アニに行くもんだと思っていた。バドミントンにのめり込んでからはすっかり、そういう熱はどこかへ行ってしまったのだが、勉強中や仕事中に気が散ると、大体ノートに落書きをしたり、子供達にプリキュアのイラストを描いて父の威厳を示したり、当時の熱中ぶりは自分の手からそう簡単には消えていかない。


今はだいぶコンピュータグラフィクスの導入が進んだのだろうけど、原画製作をベースにするアニメ制作というのはとても労働集約的な仕事である。30分の番組枠で3万枚以上の原画を使う。締め切りにも追われ、給料も安い。安いどころの話じゃなくてとても安い。バイトしないととてもじゃないは食べていけないくらい。だから普通に考えたら、アニメーターになるなんてのは尋常な決意じゃない。好きじゃないとできない。それも生半可な好きじゃなくて、作ることが大好きじゃないとできない。


きっと京都アニメーションにはそんな純粋な気持ちを持った人たちが多かったに違いない。そう思うと、とても悲しくて、辛い。


登戸のスクールバス襲撃事件とか、日本で無差別的な犯罪が増えてるように感じるのは気のせいだろうか。アメリカではセキュリティ対策だけではなく、FBIやCIAが血眼で犯罪の萌芽を探しては摘み取っている。日本ではどのような対策がされているのだろうか。そんなことが気になる。もう日本って安全ではないのか。

Censusで一悶着

アメリカ人ですか?」


この質問をトランプが国勢調査に追加しようとして、物議をかもしている。


統計上重要な国勢調査において、国籍に関する質問がないというのは意外なのだが、実は1950年の統計収集開始から含まれていないとのこと。ただし、これは簡略版に限った話で、1970年に配布が始まった詳細版には実際国籍に関する質問が含まれていた。この詳細版は2010年まで10年おきに配布されていたが、質問が多すぎてあまりに煩雑であると廃止された。タイミングがオバマの任期と被っているため、ネットでは彼が廃止したとする記事もあるけど、これは誤りで実際はブッシュの任期中に確定したらしい。


この質問がなぜ含まれていないのかには、そもそも国勢調査の目的に遡らなければならない。国勢調査は年齢や性別といった基本的な統計、収入や支出に関する経済統計を収集するだけでなく、議員数の割り当てや地方交付金の給付額決定に使われる。アメリカの憲法で規定された重要な調査である。しかし、アメリカには1100万人(人口の約3%近く)がいるので、この3%が国籍を問うことで国勢調査自体への参加を拒否する可能性があるのではという懸念もありこれまで追加されてこなかったらしい。トランプにとっては、国勢調査不法滞在者による回答が少なくなれば、議員数や交付金の割り当てをシチズンシップの保持者に合わせることができる。そのため何としてでも国籍に関する質問を国勢調査に打ち込みたいというのが思惑らしい。


そもそもの発端は、商務長官のロスが言い出しっぺであると言われているが、彼は強硬にDOJ(法務省)からの指示だと言っている。その点の証言が曖昧で、結果として最高裁で5-4で「憲法に照らして相応しくない」とされた。トランプは11日に一度白旗を上げたのだけど、いつも通り大統領令で決定を覆そうとしているから、この国の政治はドラマより面白いよ。

チームでものをつくるということ

人気絶頂を迎えながら、音楽性の違いで解散するバンドだったり、商業的に大成功している芸術家がいきなり作風を変えてみたりすることがある。次元は違うけれども、最近何となく彼らの行動というのが合理的に思える。自分の価値観に合わないことをやらされるのはとんでもなくきつい。それが好きなことだったらなおさらだ。でも組織に所属していると匙を投げるというのは難しい。

 

自分は問題の集合体からプロダクトのビジョンを作ってそれを形にする仕事をしている。プロダクトマネージャーは最終決定者だということはよく言われているけれども、それは全部を自分で決めていいというわけではない。会社に雇われている以上、コンセンサスとったり、経営層の意見を反映したり、エンジニアとリソースの調整をしたり、元から描いていたものからずれて行く作業を繰り返して行く。比喩的に言えば、アーティストがデッサンをキャンバスに起こし、そこに色を載せて行く作業が直線的で漸進的であるとするならば、会社におけるプロダクト開発は自分のデッサンに思いっきりグラフィティをぶち込まれような感じで、時として曲線的で停滞的(時として後進的)である。もちろん初期アイディアを更によりよいものにして行くようなアドバイスをもらうこともあるけれども、もしプロダクトマネージャーがアプローチする問題のエキスパートだとしたら、プロダクトマネージャー以上の知識を持ち、情熱を傾けて、相応の時間を使ってその問題に取り組むことができる人は少ないのだから、正直ノイズ以外の何物でもない。自分の価値観にそぐわないことをするのだから、気持ち悪いことはない。正直、辛い。結構辛い。

しかしちょっと幽体離脱をして、プロダクト開発に携わる人に憑依して考えてみると、また違った景色が見えてくる。携わる側としても、自分の価値観に合わないことはやりたくない。だからもしプロダクトマネージャーがゴリ押ししてきて、自分の考えが全否定されたりすれば全くやる気も出ないし、どんなにアイディアが優れていてもデザインがだめだったり、バグが多かったり、細部に渡って綻びが出てくる。だから、どれだけ理想や最適解からずれることをするだけであったとしても、コンセンサスをとって前に進むことは必要だったりする。なぜなら自分一人でものを作るわけじゃないのだから。

そう考えるとすごく大事なことがいくつか見えてくる。

1.ビジョンやミッションが共有できている、賛同されている組織

ここがないと色々なところがぶれる。右に行きたい人、左に行きたい人が集まれば全然前に進まない。当たり前だけどまずはそれができる組織に行くことが大事。多様性は大事だけど、それはビジョンやミッションに対する多様性ではなく、そこにどう到達するかについて様々な見方があるという話である。

2. 何事にもコミットしお互いを尊敬する文化

今の会社には"Disagree and commit" (反対するし、コミットもする)という言葉がある。どれだけビジョンやミッションが共有され、日々の行動に落とし込まれていても、そこへの到達の仕方は人それぞれ。結果的に選べる道は一つなのだから、どれだけ腑に落ちなくても決まったことには歯をぐっと食いしばって、全力でコミットするということが必要。反対意見に対してもリスペクトを持って対応しないとこれはなかなかできない。リスペクトがない組織はどんだけビジョンやミッションが共有されていてもいいチームにはならないから。

当たり前のことだけど今更ながらとても重要だと思う。

今年も半分が終わった。

ブログをサボっている間に、今年も半年が終わってしまった。そして今の会社で在籍8年目を迎えてしまった。「迎えてしまった」という言葉の通り、まさか自分が入社した時はこんなに長いこといるなんて思いもしなかった。留学から帰ってきた直後はなんとか日本を抜け出して、アメリカに戻ることばかりかんがえていたので、決して今アメリカにいることが想像すらされていなかったかというとそういうわけではない。ただ、具体的な手段もなかったし、想像以上にエキサイティングな仕事を日本ですることができていたので、現実問題自分の中では「このまま日本で頑張ろう」というモードになっていたので、人生どのタイミングでどんな変化が訪れるか本当にわからないものだ。

Tax Returnようやく

2018年分のTax Returnがようやく終わった。本来なら4月15日が提出期限なのだが、事情があって延長申請をすることになった。自分の場合は日本で働いていた時のRSUのVestにまつわり、日本にも税金を収めているのでその分のTax Creditを計上して二重課税を回避するなど、そもそもアメリカのTax Returnは複雑すぎて処理しきれないので引っ越してきてから会社契約の税理士事務所にお願いしている。今回の事案はそれ以上に自分には複雑だったので税理士様様である。結果としては、当初かなりの金額を納付しないといけないと言われていたのが、過払いが計上されてIRSとカリフォルニア州から税金が還付されることになった。

日本にいた時も確定申告をしていたが、面倒だけど毎年いくら自分が稼いで、いくら税金を納めているのかを目の当たりにすることはいいことだと思う。日本では自営業か年収2000万円を超えるサラリーマンしか確定申告の義務がないので、とても楽だが、そういうことを考える人はあまりいないのではないか。もちろん、全てが源泉徴収であると節税のレバーもないので、考えても仕方ないというのはあるかもしれないが、納税額を意識することで僕はもっと国に「こういう風に使って欲しい」ということを漠然と考えるようになった。

確定申告を義務化しろというつもりはないが、ふるさと納税のように控除の機会を増やせば、考える機会を得る人たちが増えるのではないだろうか。

ベイエリアとテックとホームレス

テックとホームレスがベイエリアで話に出ない日はない。これは決して言いすぎた話ではない。自分が住むBerkeleyもSan Franciscoほどではないがホームレスの問題はあり、つい先日も家の側にホームレスがキャンプをはりだして、そのキャンプがかなり大きくなってアパートの住人が使っているSlackでこの問題をどうすべきかみたいなスレッドが立ち上がっていた。結果的にそのキャンプはなくなってそこにはホームレスがまたキャンプをはれないように金網が張り巡らされていた。見た目はよくないが、やむをえないというところなのかなと残念な気持ちでいる。

www.wired.com

ホームレスの問題を深刻化させているのはテック企業とは誰もが思っていることだけど、本当にそうなのかというクエスチョンマークが自分の頭の中にはあった。そのテック企業に勤めている側なので、その因果を理解しないままに後ろ指をさされるのも嫌だというのもあり、何か詳しく説明しているような記事はないかとググったら上記のWiredの記事が出てきた。記事の内容とタイトルが少しマッチしていない感じはするが、理解を深めるにはなかなかいい記事だと思う。読んで思ったのは決してテック企業につとめるリッチな人たちが増えたからだけではなくて、そのリッチな人が増えるということが住宅に関して規制が厳しいベイエリアで起きたという不幸が問題だったのだなということ。東京で仮にこんなバブルが起こっても、超高層マンションをバンバン立てて需要が著しく供給を上回るような事情は避けられるが、ここではそうもいかないわけだ。遮られることなく青い空を堪能できるのはありがたいことなのだが、逆にそれが今の不幸な状態を生み出していると思うとなんだかちょっと切なくなる。

もしテクノロジーのミッションが人々の仕事を豊かにすることなのであれば、テクノロジーを使ってなんとかこの問題が解決できないものかと思う。

長期的思考と短期的思考

なにかが矛盾している。

 

仕事のことになると短期的思考が脳みそをハイジャックして、家族のことになると長期的思考が優位になる。

 

急がば回れというけど、なかなかプレッシャーかかってる状態で、どっしり構えて考えられないのはなんとかしたい。

 

不惑まであと2年切ったし。